秋田家庭裁判所 昭和46年(家)292号 審判 1971年11月05日
申立人 甲野花子
事件本人 乙山太郎
主文
遺漏につき
本籍秋田県○○郡○○町○○○字○○××番地筆頭者甲野花子の戸籍中、夫太郎の身分事項欄に、昭和二三年八月三一日事件本人が養父甲野一郎養母甲野月子と協議離縁した旨記載すること及び養父母との続柄欄を消除することを許可する。
理由
本件申立の趣旨は、申立人は甲野一郎およびその妻月子の養子であるところ、昭和二一年八月二日事件本人と婚姻し、事件本人は一郎、月子とむこ養子縁組をしたが、昭和二三年八月三一日申立人と事件本人は離婚したので、同時に一郎、月子と事件本人は離縁することとし、離縁届を、右離婚届と同時にそのころ○○町長に提出したにもかかわらず、一郎および申立人の各戸籍の所定欄にその旨の記載がないので、所定の戸籍訂正の許可を求める、というものである。
よって検討するに、当裁判所の審問の結果、家庭裁判所調査官の調査報告書、申立人提出にかかる戸籍簿謄本、離婚届の写し等本件に関する一件資料によれば、事件本人が一郎、月子と離縁した旨の届出をしたという点を除き、申立人の主張どおりの事実、さらに事件本人は、離婚と離縁の合意成立後、直ちに一郎の家を出、その後二三年を経た今日まで一郎らと全く交渉を絶ち、離婚後旧氏に復し(なお、本来ならば事件本人は、離婚しても離縁届を出さない以上養親の氏を称し、即ち本件の場合は婚姻当時と同じ呼称の氏のままでなければならないわけであるが、戸籍吏の過誤によるものか、旧氏に復したことになっている)二年ほどして再婚し、新戸籍が編製され、月子は昭和二三年一月二七日、一郎は昭和四一年九月一三日それぞれ死亡しており、しかも別件の当裁判所昭和四六年(家)第二七八号失踪宣告事件において当裁判所に顕著なところによれば、事件本人は、昭和三二年ごろから行方不明になり、現在再婚先の妻子とも音信不通であるという事実を認めることができる。しかし、申立人の主張のうち当時離縁届を出したという事実は、これを認めることができず、前掲各資料によれば離縁届を出さなかった理由は、当時一郎や事件本人ら関係人は、むこ養子縁組であるから、離婚届を出せば、ほかに離縁届を出さなくても当然離縁になるものと思い込んでいたためであると認められる。
そこで、わが法制によれば離縁が成立しその効力を生ずるには、当事者間の離縁の合意とその者の所轄官庁への届出を要件とするわけである(民法八一一条、八一二条、七三九条)から、この要件を厳格に解するならば、離縁の合意が成立しても、その旨の届出のない本件の場合には、形式的にはいまだ一郎、月子と事件本人間には養親子関係が存在することになるといわなければならない。しかし、右養親子関係の実態は、先に見たごとく、昭和二三年八月三一日申立人と事件本人との離婚が成立し、事件本人がむこ養子先である一郎方を出た当時から全く存在せず、その後今日までの二三年余当事者間においては勿論、その親族間においても一郎、月子と事件本人の養親子関係の存在を前提とした法律関係ならびに事実関係が全く形成されておらず、関係人がすべて両者の離縁を承認した形のまま平穏な生活が営まれていること、しかも当時離縁届を出さなかった理由が先に見たとおりであるならば、もし仮りに当時一郎や事件関係人が法律に明るく離婚届出しただけでは当然には離縁にならないということを知っていたならば、離婚届と同時に離縁届をも出したであろうことは想像に難くないところであることなどの諸般の事情に鑑みれば、ひとり戸籍上にのみ形式的に離縁届がなされなかった故をもって当事者間にいまだ養親子関係が存続しているかのごとき記載を残存させておくことは真実にも常識にも反し、かつ何らの利益もなく、わが法制における身分制度の基調である意思主義、事実主義にももとるものといわなければならない。ちなみに、わが法制上身分行為についての届出主義が採られ、婚姻や離婚或は離縁等形成的身分行為について、届出に創設的効力が認められているものであるが、身分行為の意思主義、事実主義的本質に鑑みれば、届出主義を必ずしも厳格に貫くべきではないという主張が有力であり、いわゆる内縁関係の保護についての顕著な例を見るところである。
以上のように考えられるならば、本件については、離婚届を出したと同時に離縁届が出されたものとしてその旨戸籍上にも記載されるべきものと認められる。そして本件申立は、当事者が錯誤によって届出をしないことにより、結局戸籍吏の遺漏を招来し、戸籍上当然記載されるべき事項がいまだ記載されていないので、それを真実に合致させるための所定事項を記載するということに帰するから、戸籍法一一三条の手続にもとづいてなすことを妨げないものと解せられる。
よって主文のとおり審判する。
(家事審判官 穴沢成己)